唐突に投げかけましたが
さて、電子書籍を読むか否か。
あなたは普段からお手元のスマートフォンで、一体、何を見ていますか?
それが文字列であるならば電子書籍を読んでいることになるかどうか、それは必ずしもそうとは云えませんよね。
例えばニュースを読んでいる、さて、あなたは電子書籍を読んでいるのである……?
……違いますね。
電子書籍。
「書籍」というからには「本」としてまとまっていなければならない。有料だろうが無料だろうが、とにかくまとまっていなければならない。多くの本は、何らかのテーマに沿って、そしてジャンルに分けられる。
もしもスマホでニュースの記事を読んでいるのであれば、それは誰もが「ニュースを読んでいるんですね?」と聞くだろうし「そうです」と答える。
本。……うむむ、本。本!
日本における本というのは他国と同じように独自の文化でもって発展してきた。ただし特異だと思う。
平仮名を用いた紀貫 之『土佐日記』(935)、『竹取物語』、『宇津保物語』、『伊勢物語』、『大和物語』等仮名文学が花開く中で、日本文学最高峰の紫式部『源氏物語』が 1010年代に成立。
http://www.abaj.gr.jp/history.php
そう、日本では漢字だけにとどまらず、平仮名、片仮名…と表記は様々である。小説の多くは今でも縦書きであるが、その場合における英語や数字に関する表記については明確なルールとして定まってはいない。
それに「所謂」だとか漢字表記でもあまり馴染みのない表現よりも「いわゆる」と書いたり、「子供達」でも間違いではないのだが「子どもたち」のほうが適切である場合が多い。
……また単純に漢字が思い出せなくて平仮名にするという方法をとることも出来るし、英語についても響きはわかる場合があり、その時に片仮名を用いることで、さも外来語として取り入れられていました、というようなことも出来る。実際そのようにして取り入れられているのだ。大いに結構なことだ。
それだけ応用が効く、柔軟な対応が出来るように、誰かが意図した訳でもないというのに、長い歴史をかけて日本語は培われてきたのだ。
近代では人気作家の本なんかは大量に印刷されて世に出回る。万が一、何らかの有事で日本の国土が全て失われたとしても、その人気作家の本の元となるデータについてはクラウドサーバに当然ながらバックアップが取られているので、再度印刷・増版することは容易くなっている。
電子書籍の歴史:年代別詳細(Google Geminiにて生成)
年代 | 主な出来事 | 詳細 | 影響 |
---|---|---|---|
1971年 | プロジェクト・グーテンベルク | 著作権切れの書籍をデジタル化し、無料で公開 | インターネット上での書籍共有の先駆け |
1980年代 | CD-ROMの登場 | 電子書籍のフォーマットとして普及 | 大量の情報を記録可能に |
1985年 | 三修社、日本初のCD-ROM辞書発売 | 電子書籍の黎明期 | 専門書籍のデジタル化 |
1987年 | 岩波書店、CD-ROM版「広辞苑」発売 | 辞書などの参考書が電子化 | 情報検索の効率化 |
1991年 | ソニー、初の電子書籍リーダー「Data Discman」発売 | 専用機器で書籍を読む | 持ち運び可能な読書体験 |
1995年 | アマゾン、初の電子書籍ストア「Amazon Kindle」開設 | オンラインで書籍を購入・ダウンロード | 書籍購入の利便性向上 |
1998年 | 電子書籍フォーマット「PalmDOC」開発 | 携帯端末での読書 | 場所を選ばない読書 |
1999年 | リバティ・デジタル、電子書籍リーダー「Rocket eBook」発売 | 電子書籍市場の拡大 | 読書人口の増加 |
2000年代 | 電子書籍フォーマット「EPUB」「MOBI」登場 | 標準フォーマットの統一 | 互換性向上、利便性向上 |
2007年 | アマゾン、電子書籍リーダー「Kindle」発売 | 電子書籍リーダーの進化 | 高機能化、読書体験向上 |
2010年 | 日本で「電子書籍元年」 | スマートフォンの普及 | 読書スタイルの多様化 |
2012年 | 楽天、電子書籍ストア「Kobo」開設 | 電子書籍ストアの競争 | 価格競争、サービス向上 |
2014年 | Amazon Audible、日本語音声書籍サービス開始 | 音声書籍の普及 | 耳で聴く読書スタイル |
2017年 | 各社、AIによる朗読サービス開始 | 音声書籍の自動生成 | 朗読バリエーション増加 |
2020年代 | 電子書籍サブスクリプションサービス | 定額料金で読み放題 | 読書の選択肢拡大 |
2023年 | 電子書籍市場規模、紙書籍市場規模を上回る | 電子書籍の主流化 | 出版業界の変革 |
補足:
- 上記はあくまで代表的な出来事であり、詳細な歴史は文献等を参照のこと
- 電子書籍の普及は、出版業界、読書習慣、情報技術などに大きな影響を与えた
- 今後も電子書籍は進化し続け、新たな読書体験を提供していく
2023年、電子書籍市場規模が紙書籍市場規模を上回った
上図では2010年が電子書籍元年とされている。
しかし、Eメールを携帯電話で扱えるようになった頃から「携帯小説」なるものとして一部人気を博していた。2000年頃から、始まってはいたのだ。内容についてはなんだか、恋愛?モノのようであって、女子の間では結構流行っていた記憶はある。
いずれは全ての書籍が電子化する?
答えは言わずもがな「NO!」だ。
私たちは技術の進歩とともに歩んできて、それは昔も今も、変わらない。
進研ゼミではタブレットを使用して、子どもたちはそれに入力、まあ、生で見た訳じゃないのだけれども「赤ペン先生」はネットワークで即座に赤ペン入れられるようになっているだろう。効率は間違いなく良くなっている。
さて、私は進研ゼミとかやらなくてもいつもトップの成績だった。
対して、弟はしっかり進研ゼミで勉強していた。アホだからだ。
……なんて思わない。トラウマレベルでそう思えない。計画通りにちゃんと勉強して答案を提出するということ。そのやりとりがきちんと出来るということ、それは簡単なことのようでいて、でも私には全く出来なかった。その能力が自分にはなかった。ADHDの特性でもあるけれども、当時はADHDという言葉を知っている人なんてほとんどいなかった。どんなに成績が良くても、赤ペン先生から返信を得ることは出来ないのは答案を提出していないから当然。だから答案を送ろう、としても、それがどうしても出来なかった。どうして出来ないんだろうって悩んだ。後にそれが深く暗い影を落とした。が。
……話がそれた。悪い手本だ。
弟はそれら教材と向き合って、計画どおりに無理なく実行し、いつも楽しそうに勉強していた。赤ペン先生からの返信もしっかりと来ていた。そんな様子をみて羨ましく思っていた。赤ペン先生の返信ってのは、何度も見たけれども、上手いことその子のモチベーションを持ち上げてくれる、素晴らしいものばかりだった。今でもたぶん、そうなってると思う。
もし、その赤ペンがAIによる自動赤ペン生成先生になります、となったら興ざめも甚だしいところだ。
私みたいに無計画でズボラな人間は、下手な字で教科書に直接書き込むのだ。ノートを出せと、毎回のように云われていた。教科書には書くな、ノートに書けと散々云われたけれども、成績が良いこともあり、次第に何も云われなくなった。それは小中学生とずっと続いた。
つまり私には必要なのだ。書き込むための教科書は、紙でなければならない。
これはコンピュータに関するリファレンスもそうだ。というか、学問全般に云える。
偉人たちは皆、私によってヒゲを描かれることになるが、教科書がノートになっている人間もたくさんいるんだ。たった、その点だけを取り上げたけど、同じような例は多い。
紙の書籍は絶対になくならない。